1242 ニッポン放送
つかちゃんコラム
塚越孝
塚越孝
column
7月 1日

「キターッ!!笑いの松竹が復活」

まだ、3つ終わったばかり。
明日の静岡を含め7箇所ありますから、
その熱気を確かめてみてください。
ようやく「松竹」が来ました。
松竹というと、歌舞伎、新喜劇、寅さん。
イメージするものを訊ねてみたら、こんなもんです。
大洋という人がいたら恐るべきプロ野球通です。
洋松ロビンズって、昔も、妙な合併劇があったんですね。
1年でコンビを解消していますが。

コンビが、今の松竹は、うまく行っていて大盛況、
「吉本」を猛追。
そう、漫才の話です。
上方のお笑いの世界は、戦前から吉本興業と松竹芸能の争いだった。
磯野貴理子の姑の娘時代、華があって美しく、
お笑い、お喋り、ミュージックで売った姉妹、
かしまし娘を筆頭に、宮川左近ショー、柳次柳太、伸ハワイなど
1950年代、60年代は、道頓堀の「角座」が中心で、
ここは松竹が経営する小屋と言うより大劇場でした。

70年代に入り、「ヤングオーオー」で火がついた
お笑いブームは、可朝、仁鶴、三枝で始まり、
やすしきよし、アホの坂田のコメディNo.1、カウスボタン、
文珍、小染、八方、きん枝と皆、吉本で、
塊になって出てきました。

松竹には、この頃、レッツゴー三匹、ぼんはやと、敏江玲児など
人気者がいましたが、ユニットとなる柄じゃない。
ここで大きく差がついた。

ジャニーズ事務所の活躍を観てても、モーむすなんかも、そう。
束で売って力を得て、ばら売りで儲けるというやり方が賢い。
吉本は、早々、気づき80年代の漫才ブームは、
やすこけいこ以外はすべて吉本でした。
その後、明石家さんまの東上、ダウンタウン、ナインティナインの
登場で、関西だけでなく全国を席捲。

その間、松竹はというと角座閉館、
映画館を「浪花座」という寄席にして細々。
それもつぶれて今や、道行く人もわからないビルの地下、
それも隅の方の、たった100人しか入らない所を、
「B1角座」と称し、息をしていました。
しかし、角座復興の思いが、地下深く沈潜し、
今、マグマとなって噴出しつつあります。

その名も「Live!チクる」。
松に竹の格式ある、古臭いマークも
ギンギラにいじって弾けてます。
そして、肝腎な芸。
全国ネタ見せツアーと銘打っているだけあって、
皆、真剣そのもの。
相当な稽古を重ねただろう自信が、
客席を巻き込み意外なアドリブを生みます。

若者の世界ですが、伝統的な芸の格を感じました。
10組以上の芸人中、流石、主任をとった
ますだおかだはテンポ、リズム心地よく、
見事なしゃべくり漫才。
安田大サーカス、メチャクチャなようだが実は緻密。
アメリカザリガニは才気煥発。
この御三家に、チョップリンの不思議なおかしさ。
そして、ひょっとしてピンクレディの再来か。
ソニーミュージックの斎藤匠プロデューサーに、
歌手デビューを強く奨めておきました。
ヴェートーベンの「ありそでないッ、ィェッ!」。
今、松竹が、古い殻を破りつつある。



 
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