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みのりの日記
栗村 智
栗村 智
 
diary
9月27日
頑張れ!インディアンス
30年間、スポーツアナウンサー(特に野球)をしていたので、
今だにこの時期は、結構わくわくするもんなんですよ。
4月に始まった日本のペナントレースも大詰め。
「クライマックスシリーズ」の出場チームもほぼ固まりました。
アメリカもヤンキースが今日、13年連続プレーオフ進出を決めています。

そんな中で先日、私が個人的にず〜っと注目してきた、
「クリーブランド・インディアンス」が、アメリカンリーグ中地区で優勝し、
6年ぶりにポストシーズンに進出したニュースが入りました。
いやぁ、感無量です!

インディアンスは、私が体を壊す直前、
2005年の大リーグ中継で出張した折、
個人的に興味を持って取材したチームでした。
ひょうきん者で、今もヤクルトスワローズの主砲を務めている
アレックス・ラミレス選手
(スポーツアナウンサーを辞めた今もクリスマスカードをやりとりしてる)が、
このインディアンスの出身で、同じベネズエラ出身、
レギュラーキャッチャーで4番のビクター・マルティネス選手を
紹介してくれまして、クラブハウスで取材しました。

95年から5年連続で、地区優勝2回、ワールドシリーズ進出、
当時は、今のヤンキースやレッドソックスと同じように、
FAの年俸の高い選手をごっそりオーダーに並べたチームでした。
1994年に新装なった、今、メジャーで流行りの新古典主義球場、
(古きよき時代のレンガ造りの外装で、中身は超近代的なハイテク装置で
占められた、天然芝の球場)「ジェイコブスフィールド」も、
連日、“満員札止め”状態の強豪チームでした。

しかし、選手の年俸高騰に加えて、
ニューヨークやボストンのような巨額の放送収入などの見込めない
スモールマーケットのクリーブランド。
私が取材をしていた時は、そんなチーム規模に見合った、
新しいチーム作りをしている最中…。要するに、
「よその畑でなったものを、根こそぎ自分のチームに分捕ってしまう」方針から
「生え抜きのたたき上げの選手だけで勝負しよう」としていたんですね。
実際、2001年には、若いマーク・シャピーロGMを招へい。
監督も、2002年のオフに、メジャー経験の全くない
エリック・ウエッジにチェンジ。
まるで、日本の広島カープのようなチーム作りに変えて、
苦節6年…、ついに今年、大きな花を咲かせました!

2005年、クリーブランドでマーク・シャピーロGMに取材した時、
GMは、目を輝かせてこんなコトを言ってました。
「金でほっぺを叩いて、スタープレーヤーを連れてくれば、
今、閑古鳥が鳴いているスタンドも、また一杯になるだろうけれど、
本当のチーム力は付かないよ。ルーキーの時から育てて、
自分たちのファーム組織の下で、スター選手の道を歩ませるつもりなんだ。
私の息子もまだ赤ちゃんだが、一日一日成長するのが判るんだよ。
君は、犬が好きかい?キャンキャン啼いていた子犬が、
ある日突然、雄雄しくバウバウと啼くのを見たら、たまらないだろ!
今、ファームから上げたばかりの若手それぞれの選手が、そうなるのを、
首を長〜くして待ってるんだよ。」

今年のインディアンスは、生え抜きのビクター・マルティネス捕手を中心に、
18勝をあげているアメリカンリーグ・ナンバー1左腕、C.C.サパシアに、
去年の成績・1勝10敗から、今年はこちらも18勝!
防御率・アメリカンリーグトップの右腕、ファウスト・カルモナという
これまた生え抜きを、投手の柱に躍進しました。
1から「チーム作り」をやり遂げたクリーブランド・インディアンス、万々歳!
コツコツと積木を積み重ねていったインディアンスの、
プレーオフ、ワールドシリーズでの奮戦を、祈らないではいられません。
9月21日
SLの想い出〜昭和40年代初頭・広島鉄道管理局管内
いよいよ、来月10月14日の鉄道記念日、
さいたま市に、新しい「鉄道博物館」がオープンしますね。
館内にはSL・C57や、昔懐かしい機関車、客車が展示されるのをはじめ、
日本一の鉄道模型のレイアウトがあり、
鉄道ファンみんなが、オープンを今や遅しと待ってます。
斯く言う私も、その一人なんです。

何しろ、母方のおじいちゃんが、三菱重工でD51を作っていたので、
私、小さい時からディーゼル機関車は、どういう車両構造で動くかとか、
蒸気機関車の分別の仕方とかを教え込まれていました。
小学校に上がる前から、広島駅構内の陸橋の上で、
下を通り過ぎる蒸気機関車や、ディーゼルカーを眺めるのが、
楽しみだったんですよ!

中学3年生の時に、東京光学・トプコンの一眼レフのカメラを、
父に買ってもらいました。
そして毎週末、広島機関区や、当時、電化されていなかった呉線沿線、
糸崎機関区に行っては目の前を疾駆する、
C62、C59、D51、C58、C11。
さらに入れ替えに使っていた、懐かしのC50の雄姿を、
ドキドキしながら、カメラに収めたものでした。

その頃の呉線といえば、東京〜広島間を運行していた急行「安芸」、
大阪〜広島間を走っていた急行「音戸」、
京都〜広島間の急行「ななうら」といったところがエース格。
その客車を、かつて花形SLだったC62やC59が
牽引していたんですね。
大きくなったら、家の中に鉄道模型・HOゲージのレイアウトを作って、
フル編成の急行「ななうら」を走らせるのが夢でした。
その夢はかないませんでしたが、今でも大きな鉄道模型を見ると、
わくわくしてしまうのです。

今週の「栗村智あなたと朝イチバン」の「あの人、この旅、この人生」には、
私以上に、SLに魅せられた方が登場しますよ。
お楽しみに!
9月15日
落語家と映画
14日明け方、テレビ東京でやっていた、
1970年の大映映画「裸でだっこ」をついうっかり、
最後まで観てしまいました。
前日、番組アシスタントのフッチーから、
「栗村さんの大好きだった、志ん朝師匠が主演で出てる映画ですよ!」との連絡で、
楽しみにしていました。
大好きな落語をテーマにしたものや噺家さんが出演した映画は、
結構あるのですが、 毎度毎度、今になってみると、
出来はたわいのないものでもたまらなく懐かしいものなんですよ。

「裸でだっこ」はタイトル通り、お色気映画なのですが、
志ん朝師匠の相手役が、 なっ、なんと!
私が高校1年の時に、雑誌のヌード写真を学校に持っていって、
先生に取り上げられた、あの、なつかしの渥美マリさんなんですよ。
男子校で、女性に接する機会の少なかった私は、
当時、グラビアの豊富だった「近代映画」という雑誌で見た、
渥美マリさんの、お色気にメロメロになってしまってたのです。

画面に吸い込まれるように見ていて、
あの頃の純真な自分を思い出して、
明け方一人で、くすくす笑ってしまいました。
志ん朝師匠のほかにも、先代の柳亭痴楽師匠も、鳳啓介・京唄子も出てて、
も〜う、たまりませんでしたよ。

そういえば、懐かしい噺家さんが出演した映画を、
10月5日まで、下北沢の「シネマアートン」で特集してますよ。
時間が空くと、私もちょくちょく顔を出しているんです。
古〜い、狭〜い映画館ですが、場内の喫茶カウンターが、
これまたオツなんですよ。
一度いらっしゃってはいかがでしょうか?
皆さん、懐かしいあのころに戻ることが出来ますよ!

※「シネマアートン」電話番号:03−5452−1400
上映作品と時間のお問い合わせは、こちらまでどうぞ!
9月 7日
二つ目
先日、我が母校・中央大学落語研究会の後輩で、
目下、名人目指して修行中、二つ目・春風亭朝也君と一杯呑みながら、
今の落語界の裏話を聴いて、楽しい一夜を過ごしました。
一緒に来た古今亭志ん八君と二人、
知り合いの方が主催する落語会に出演してもらった後、
当方、先輩風吹かして、リーズナブルな焼き鳥屋さんに
飛び込んだわけですよ。

二つ目さんというと、入門して前座修行を約4年経て、
とりあえず羽織の着用を許されて、
ある程度、自由に仕事が取れる真打予備軍。
30年くらい前は、この二つ目の約十年、
晴れて真打に昇進するまでは、ヒマでヒマで、
しかも、赤貧洗うがごとき苦しい修行。
生活に追われて、お祭りの司会、キャバレーの余興の進行役で、
食いつなぐのに精一杯の暗黒の二つ目時代だったのですよ。

昔の感覚で、現代の二つ目噺家さんとお酒を酌み交わしてたら、
彼らが、結構いい暮らしをしているのがわかりました。
今は昭和30年代以来の落語ブーム。
昔はほとんど仕事がなく、
本職の落語を演じる場所を探すのに苦心していたのが嘘のように、
芸暦6〜7年の二つ目さんも、ほぼ毎日仕事があるという、
落語界は好景気なのです。
名人上手は、ほとんどいなくなっても、
それに続く中堅層に、達者な人がズラリと揃っているんですよ。

昔、昭和50年代、お目当ての円生・小さん・馬生・志ん朝・談志が、
高座に出てくるまでの退屈なこと…。
今は円生・志ん朝はいませんが、
高座に上がる人それぞれが達者で、間延びするような芸をする人は、
まずいないのです。

名人上手がなくなって、寄席から遠ざかっていた方。
一度、だまされたと思って新宿末広亭などの寄席にいらしてみて下さい。
自分の目で、耳で、若い芸人さんが上達していくのを見守るのも
興味深いものがありますよ。
8月30日
里の秋
8月の東京中心部の平均気温は、観測史上最高の「29.5度」!
一日の最低気温が25度をきらない熱帯夜が「22日」!
いやぁ、今年の夏の暑かったこと!

それでもここ数日、朝夕は心地の良いひんやりとした涼しい夜を
送ることが出来て、ほっとしています。
もちろん、ヒートアイランド現象の権化・首都東京ですから、
まだまだ残暑には油断できませんが、
とりあえず、今年の酷暑は通り過ぎたようですね。
秋の訪れも、もうすぐでしょう。

秋と言えば、私にとって忘れられない歌があります。
私の広島の生家の庭にある、
私が誕生した直後、祖父が植えた柿の木が、
毎年、たわわに実をつける時期なんですよ。
この柿の木、「桃栗3年柿8年」の諺通り、
苗木を植えて、丁度8年目に初めて実を結び、
私達を喜ばせた思い出の木…。
今は亡き母と学校で習った「里の秋」を一緒に歌いながら、
その甘い柿の実を、果物ナイフで母が剥いてくれるのを、
首を長くして待っていたものです。

今度の土曜日の「栗村智 あなたと朝イチバン」は、
早いもので、9月に入って最初の放送です。
私が、聴取者として番組に参加出来るなら、
この「里の秋」を「学校で習った、あの歌リクエスト」に
リクエストするんですが…。
そこは、さすが!お聴きの皆さん。
既にお便りを頂いておりまして、
スタッフでこの歌の背景を調べてみました。
すると、意外なことが判ってきたんですねぇ。
それは…、9月1日の放送の中でお話致しましょう。

プレゼントも、お楽しみに!
 
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