小林「やれるところまでやりきって、それで私はこれまでN P O法人モンキーマジックという活動を通じて、日本に障がい者クライミングを普及するという活動を20年近くやらせてもらっていて。まだ日本にこのパラクライミングという競技としての障がい者クライミングがなかった時から、それを立ち上げることにも関わることができたというのもあったので・・・自分が55歳という年齢を迎え、体調を崩したりということもあって、そこで不安定ななかで向き合うのであれば、自分としてはまだまだ立場が変わっても障がい者クライミングに、普及という立場でも競技としての発展という立場でも関われる場所があるだろうと思い、そちらの方に舵を切ろうと決意しました。そんななかで『やれるところまでやる』という思いのなかで、この3月の日本選手権で2位の結果に終わり、日本代表には選考されなかったので、ここが節目となりました」