上柳昌彦 ラジオの人

上柳昌彦
(うえやなぎ・まさひこ)
誕生日:1957年8月1日
星座:しし座
血液型:B型
出身地:大阪府
趣味:スポーツジム通い

以前のブログ記事はこちら

2019年10月4日

美しい佐野元春さんとの想い出
「あさぼらけ」で2カ月に1回お届けしている「ウルトラヒットの道標」も回を重ねる事およそ13回になりました。

「およそというのはなんだ!」と怒られそうですが、なにせ放送回数も先日「だいたい888回」とお伝えしたくらいいい加減なものなのでどうぞお許し下さいませ。

さて今回のお客様はお伝えの通り佐野元春さんです。

佐野さんとは学生時代からのご縁がありまました。インタビューの中でも触れていますが私が大学1年か2年の時にサークルの先輩がライブのPAや照明のスタッフだった関係で、あるアマチュアミュージシャンのライブのチケットを買わされたのですね。

それが同じ大学の先輩、佐野元春さんだったと言う訳です。場所は目黒あたりの公会堂的な場所でお客さんはたくさん入っていました。


なんだかかなりオシャレな雰囲気のライブで、グランドピアノの上にガラス製の花瓶が置かれそこには一輪の真っ赤なバラの花が置かれています。

そして黒ずくめの衣装の髪の長い男性がビリー・ジョエルかエルトンジョンかという雰囲気で自作の曲を歌い上げていました。

また仲間がステージに集結して大合唱でエンディングを迎えるという構成も強烈に記憶に残っています。

アマチュアバンドと言えばレッドツェッペリンやディープ・パープルもどきバンドか、俺にもできるンじゃないかぁという程度のフォーク、また妙にテクニックのあるジャスバンドの演奏はちょいちょい目にしていました。

しかし佐野さんのライブはそのどれでもないオリジナリティーにあふれていたのでした。

あの時、佐野さんは大学3年か4年だった訳です。それからしばらくしてライブに誘ってくれた先輩が「あの時の佐野さん、就職したらしいよ」と教えてくれました。

「あんなに雰囲気があってもプロにはなれないのかぁ。いやプロにならない人生を選んだのかなぁ。まぁ簡単にはプロのミュージシャンにはなれないものなぁ」などと思ったものです。

佐野さんと同学年と思われる桑田佳祐さんはこの時すでにサザンで社会現象のようになっていましたからねぇ。

そして、数年後にその先輩の車に乗っている時に「佐野さんがデビューしたンだよ」とカセットテープを見せてくれました。

自分でも呆れるのですが、黄色いエピックソニーのラベルはよく覚えているのに、そのカセットに収録されていた曲がなんであったかの記憶が実にあいまいなのです。

デビューアルバムだったような気もするし3枚目の「サムデイ」だったような気もする。

デビューシングルの「アンジェリーナ」1曲だったかもしれないし3枚目のシングル「サムデイ」1曲だったような気もするのです。

なにせ、その先輩のカーステレオで1回聴かせてもらっただけですから。

しかしインパクトはもの凄くて「やりましたねぇ!佐野さん!」と先輩と語り合ったものです。

その後にニッポン放送に入って曲紹介が出来る番組を持てるまで3年、そして実際にお会いしてインタビューが出来るまでに6年ほどの年月が必要となります。

1987年に12インチシングルで発売になった「インディビジュアリスト」という♪ウンチャウンチャウンチャというスカのリズムを取り入れたご機嫌なヒップホップの元祖のような佐野さんの曲があります。

当時深夜の音楽番組を担当していたので、何回目かのゲストという事で、私は大胆にもコントの共演をお願いいたしました。

設定は佐野さんがレコーディングディレクターで私が歌入れをするミュージシャン。

そして「インディビジュアリスト」を私が歌うのですが、何回挑戦しても途中から米米クラブの「コメコメウォー」になってしまうという。そして佐野さんが「違うんだよ!こう歌うんだよ!」と歌うのですがこれまた「コメコメウォー」になってしまうという、何とも佐野さんにとって失礼なネタでありました。

しかし佐野さんは快く引き受けて下さるどころか「雰囲気をつかみたいので事前に台本を送ってくれ」と入れ込んでいただき、私は番組ディレクターのT君と懸命に台本を書き上げたのでありました。

そして結果は大爆笑のコントになった・・・と記憶しているのですがきっと今聴いたら「お前、佐野さんによくもこんなことお願いしたもんだななぁ」となるのでしょう。

まぁ過ぎ去った思い出はいつだって美しいものであります。

というような事がかつてあった佐野さんへのインタビューです。10月7日月曜日から1週間、午前5時15分前後にお送りいたします。

ラジコタイムフリーなども駆使して是非に!